尾道ドキドキわくわく一人旅<5>


<尾道の@日目>

 と、いうわけで『尾道』に到着!!・・・したのはいいが民宿へチェックインする時間が早かったので大きな荷物をコインロッカーに預け(400円の中ロッカーで済むと思ったら600円の大ロッカーでないと荷物が入らなかった><。)5時前まで、尾道を見学することにする^^
 
上の写真は尾道(海側)の駅舎!!駅前は整備されていて気持ちのいい駅だった^^ちなみに写真でもわかるように天候は相変わらずの曇り空^^;そんな中でも観光客は結構いた☆そんなこんなで、まずは海沿いを歩いてみる。すぐ向かいには『向島』が見える!別の洒落て言ったわけではない(−−;ここいらは造船業が盛んらしくあちらこちらに大きなクレーンが沢山あった☆下の写真はその『向島』を撮ったもの^^

 次に足を運んだ所は駅から2分位歩いた所にある林芙美子像である♪ここで少し、林芙美子について話そうと思う^^って言っても自分も詳しいわけではないが(−−;

 林芙美子は明治36年(1903)山口県生まれ!ちなみに本籍は,、鹿児島県東櫻島古里温泉と言う所らしい。6歳の頃から母と行商人の養父とともに九州各地を旅して歩いたらしく、その際各地の小学校を転々とし(十数回の転校)尾道に移り住み、第二尾道尋常小学校五年に編入する。そこで早大卒の小林正雄先生(担任)と出会う。彼が芙美子の文学的才能を誰よりも早く認め、強い薦めで尾道市立高等女学校(現・尾道東高校)に進学することになる。
 その後1922年、尾道高女を卒業し、 恋人の明大生をたよって上京、同棲をはじめる。林は結婚するつもりだったが、卒業して郷里に帰った彼は家族の反対を理由に結婚できず・・・この時のショックを癒すために日記を書きはじめる。

 その後、関東大震災にあって、一時、関西にもどるが、すぐに東京にもどって、アルバイトのかたわら、童話と詩を書く。同棲した新劇俳優の紹介で萩原恭次郎、高橋新吉、辻潤ら、アナーキスト詩人と知りあい、「文芸戦線」などに作品が載るようになる。その後仲間の詩人と結婚するがすぐに別れ、1926年、画学生の手塚緑敏と再度結婚。その後、尾崎翠を慕って落合に移る。
 1930年に林芙美子の代表作『放浪記』が出版されると、貧窮をはね飛ばすような明るさとエネルギッシュな文章が注目され、当時としては破格のベストセラーとなる。この印税で一年近いヨーロッパ旅行に出るが、旅費がとぼしかったために、栄養失調におちいる。この前後、「風琴と魚の町」、「清貧の書」という初期を代表する自伝的短編を発表する。 1935年、運送屋の男を主人公にした「牡蠣」を発表。 林の最高傑作と衆目の一致する『浮雲』を刊行した翌月疲労の為、心臓麻痺で急逝する。47歳だった。
 ライバルの作家が台頭してくると、ありとあらゆる手段で追い落としを図ったらしく、林芙美子の葬儀に訪れた弔問客の中には芙美子への悪口を漏らす人もいたらしく、弔辞の中で川端康成は「死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人をゆるしてもらいたいと思います」と述べたということです。
 ずらぁ〜と書いてきましたが、ここは違うよ!とか、指摘がありましたら何でも言ってください!色んな資料を見て簡潔に書いたつもりなのですが・・・^^;
 資料を見ていて感じたこと・・・それは、芙美子自身が幼少時からどん底の生活を送ってきたにも関わらず、それをバネにしてすばらしい作品を手掛けてきた!!それは、芙美子の根性と誰にも負けたくないという気持ちが生んだのなのだろう☆人間、才能があっても『きっかけ』や『やる気』がないと宝の持ち腐れになってしまう。故に、人との出会いや諦めない気持ちは本当に大切なものなんだ!・・・と、これを書いていて教えられた気がします^^

 そんなわけで先に進もうと思います!(笑)さて、次は文学記念室へ足を延ばすことにしましたが、ただ歩いてるだけじゃ意味がないので、古寺めぐり&大林宣彦監督の映画の撮影現場を見ながら歩くことにしました。まぁ・・・とてつもなく量が多いので今日中に全て廻ることはできなかったのですが(−−;ちなみに上の写真は転校生のロケ地!!それにしても尾道は本当に坂が多く、下の写真のような坂がいくらでもあります><。また、道がクネクネしてるので道に迷ったりもしました^^;

 案の定、なかなか文学記念室にたどり着くことが出来ず(笑)気が付くと、『中村憲吉旧居』にたどり着いていました^^;下の写真がその旧居!中村憲吉は、明治22年(1889)生まれ、広島県双三郡布野村出身で、アララギ派の歌人。肋膜炎を病み尾道で療養中だったが昭和9年(1934)46歳の若さでこの世を去った。代表的な歌では 

”千光寺に夜もすがらなる時の鐘
  耳にまぢかく寝ねがてにける” 
がある。

 意味的なものは・・・夜、鐘の音が聞こえてくるのだが、その鐘の音が耳にひびいて、眠くても、なかなか眠れない・・・ということを、詩にしたものだそうです!
 
 そんなわけで中村憲吉旧居をあとにして今度こそ文学記念室に向かう☆しかし、色々な名所を見て廻れるのだから、迷うのも悪くない♪(下の写真は『中村憲吉旧居』の写真)

 そんなこんなで、今回は資料を探したり、写真を選んだりでかなり時間を食ってしまいましたが如何でしたでしょうか?
次回は文学記念室や志賀直哉の旧居に行ったこと等を書いていこうと思います^^

 尚、下の写真は天寧寺の海雲塔越しの景色を撮ったもの!めちゃキレイな景色でした^▽^

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